阪急バス路線物語・休廃止路線探訪

阪急バス75年(特に最近15年)の間に廃止された路線・停留所を紹介。

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はじめに

 このBlogは、『阪急バス路線物語(Blog ver.)』内の一コンテンツ「休廃止路線探訪」です。
 ここでは、過去に休止・廃止された阪急バス一般路線について取り扱います。

 阪急バス一般路線における休廃止路線が非常に膨大な量であり整理が困難であることから、2010年夏からは、資料を見つけて情報をまとめ次第、内容を取り扱う「コラム」形式(不定期)に変更いたします。

 これまでに撮影した停留所・路線については
「路線選択」からご覧ください。

・現在運行している路線・高速バス関連はこちら(コミバス線等の廃止停留所は移行未完了)
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伊丹宝塚線

1.概要
 1970〜1975(昭和45〜50)年頃にかけて廃止された不採算路線のひとつ。
 もともと宝塚〜有馬間に路線をもっていた宝塚有馬自動車が1928(昭和3)年6月28日に伊丹地区への進出として、阪急宝塚〜姥茶屋〜阪急伊丹〜伊丹植松(大鹿線)の免許を取得したのがこの路線の始まり(同年8月29日運行開始)である。伊丹地区への進出は、阪急電鉄における沿線開発や、阪急伊丹支線(伊丹〜宝塚、塚口〜尼)や能勢電(能勢口・伊丹)といった延長免許を取得したが実現できずにいた未成線や、宝塚尼崎電鉄による尼宝線の運行など、鉄道企業家の進出計画に対応するため、この宝塚・伊丹間のほかに、伊丹・川西呉服橋(現在の尼崎線、伊丹以北に相当)などの申請を行うなど、阪急・能勢電の計画線の代行輸送機関の役割を果たしながら、阪急沿線の路線拡充を行っていった。1939(昭和14)年9月、現・阪急バスは宝塚有馬自動車を吸収合併した。
 後に大東亜戦争下での燃料統制により休止するが、終戦後の1954(昭和29)年4月に米谷・昆陽間の5.9kmを新規延長し、また、中野・伊丹系統を廃止し、伊丹〜宝塚系統として運行を再開した。
 1971(昭和46)年1月28日、伊丹宝塚線(阪急伊丹〜阪急宝塚系統)の廃止に伴い、昆陽札場の辻〜清荒神道間の5.85kmを廃止し、代替輸送として空港宝塚線の運行を開始した。
 なお、空港宝塚線はその後宝塚・空港線と名称を変更し、朝と夕の1日2往復(1987年10月1日改正時)運行していたが、1995年1月に発生した兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)に伴う道路渋滞で定時運行ができなくったことから運行を休止した。4年後の1999年7月22日からは8月末までの夏休み期間限定で運行本数を増やし、その後翌年3月末まで臨時運行した後、2000年4月1日からは定期運行が開始された。
 『全国バス路線便覧(昭和39年度版)』によれば、運行内容は次の通りである。(225)阪急伊丹〜安倉〜宝塚系統、距離9.2km、運賃30円、往路は始発7:00〜終発18:55、復路は始発7:40〜終発19:35、所要時間35分、5往復。
 当時の路線地図をgoogle mapにあげた。ルートは伊丹市昆陽札場ノ辻から兵庫県道142号(米谷昆陽尼崎線)にほぼ沿う形で宝塚市清荒神まで北上し、国道176号旧道から宝塚へと至るものであった。当時の停留所は、宝塚・歌劇場前・宝楽町・清荒神道・米谷・小浜・安倉・姥茶屋・中野・玉田橋◎・中野南口◎・住友北◎・住友前◎・昆陽札場の辻・千僧口・阪急伊丹(中野〜昆陽札場の辻間、◎印の停留所は市バス停留所の可能性もあり)。

2.現況
 阪急電鉄が伊丹線を宝塚への7.2kmを延伸するべく軌道特許を1924(昭和49)年5月19日に取得するも、2005年2月23日に工事施工認可を取り下げ、特許は失効した。
 伊丹宝塚線の路線廃止後、中国道の開通をはじめ、区画整理が実施され、小浜〜姥茶屋間などでは当時のルートを走行することは不可能になった。
 後に阪北線梅田・宝塚系統の廃止されたことで、宝楽町〜清荒神道間の路線免許も廃止されており、同区間にはバス路線は存在しなくなった。宝塚〜小浜〜安倉間の沿線沿いには、国道176号バイパスを経由する阪急バス(空港宝塚線など)・阪神バス(宝塚〜尼崎系統など)路線が運行している。安倉〜姥茶屋間については、宝塚市内線[82][83]阪急逆瀬川〜中野住宅前系統が運行されており、旧姥茶屋停留所付近には安倉下ノ池・宝塚安倉団地停留所が設置されている。安倉以南については、安倉〜中野の宝塚・伊丹市境を経由するバス路線はなく、兵庫県道42号を経由する阪神バス、伊丹市内を走る伊丹市バスを利用することになる。 

参考:阪急バス50年史、全国バス路線便覧(昭和39年度版)、1966年番京阪神市街地図帳

| コラム | 14:31 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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大阪からバスを乗り継いで滋賀県へ〜京都線〜

 ある日、このBlogの某読者さまから次のような新聞記事を頂いた。

kyoto-line_teisan.jpg
 
(1962.4.29 産経新聞滋賀版、提供:Kさま クリックすると別窓で拡大します)

 記事を要約すると、次のようになる。
 『滋賀県の帝産湖南交通が信楽・石山駅から山科を通り京都市内への路線開設を模索し、当初は京阪三条を終点とする予定だったが、交通事情により河原町御池の阪急バスターミナルを終点とする路線に変更し、5月1日から運行を開始する。信楽〜京都間は180円、1時間30分。ダイヤは河原町御池発本町四丁目(大阪市)行の阪急バスと10〜15分の待ち合わせで連絡できるようにし、信楽から大阪市内中心部への乗り入れが実現、さらに阪急バスと協議して、1枚の乗車券で相互乗車を行う予定である。』
 阪急バス50年史には、京阪線・京都急行線(大阪本町四丁目〜京都)について、京阪バスからの路線譲渡・大阪市内および京都市内への乗り入れ・久世橋への乗せ換え・名神高速経由便の新設そして路線短縮といったことについて触れられているが、この記事のような大阪〜滋賀間の運行については記述は無く、記事にあった連絡乗車券をはじめ、運行開始後の経緯は分からない。
 京都急行線については別の機会で触れることにして、この頃と現在の大阪〜滋賀間の料金や時間を比較して、このコラムの結としたい。

>>当時の大阪〜滋賀間(阪急バスは1964年6月1日現在)
 阪急バス:本町四丁目〜河原町御池:150円、2時間10分前後
 湖南バス:河原町御池〜信楽:180円、1時間30分
 ⇒本町四丁目〜信楽間は330円、3時間40分以上

>>現在の大阪〜滋賀間(駅すぱあとより)
 地下鉄本町〜地下鉄梅田:200円、5分
 JR大阪〜JR草津〜JR貴生川:1450円、新快速利用1時間13分
 信楽高原鉄道貴生川〜信楽:450円、24分
 ⇒地下鉄本町〜信楽間は2100円、1時間42分以上

| コラム | 15:00 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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梅田23:50発宝塚行〜終電後の深夜便〜

 大阪梅田から国道176号を北上、十三・菰江(日出町)・庄内・服部・桜塚を経て、豊中・柴原・箕面へ至る路線。大阪北部を走る「阪北線」がそれだ。
 2010年夏現在、阪北線は梅田〜日出町〜豊中間の運行を基本にして、千里中央へは1時間に1本程度、箕面へは平日に限り1時間に1本運行している。

 1964(昭和39)年に発行された「全国バス路線便覧」を開いてみると、この当時、ほかにも内本町二丁目〜池田〜妙見山上、といった長距離系統があった。
 たとえば、内本町二丁目〜池田系統は20.1kmを55分・65円で結び、運行本数は35往復、運行時間は往路は7:36から0:28発、復路は6:10から23:30発まで。
 内本町二丁目〜妙見山上系統では、39.95kmを1時間44分・145円で結び、運行本数は1往復で、往路が7:52発、復路が16:40発。
 同年6月1日現在の時刻表が掲載されている弘済出版社「バス時間表」においても、ほぼ同様の内容の時刻表が掲載されていた。


 さて、今回取り上げるのは、梅田〜池田〜宝塚系統である。
 現在、梅田からバスを乗り継いで国道176号を経て宝塚方面に行こうとしても、川西バスターミナル〜宝塚間に路線は無いため、行くことはできない。
 無論、国道176号線には阪急宝塚線が並行しており、梅田から宝塚へは阪急線を使ってしまえば手っ取り早い。

 「バス時間表」をみてみると、当時、阪急宝塚線の梅田⇒宝塚間は、普通電車は梅田5:00発⇒宝塚5:43着の初電から梅田発23:30⇒宝塚着0:17までの終電まで、急行はさらに運行時間が短くなり梅田6:40発⇒宝塚7:17着の初電から梅田発22:00⇒宝塚着22:37までの終電まで、急行は15分毎、普通は10〜15分毎で運行していた。宝塚⇒梅田間も同様に、初電は宝塚発5:00⇒梅田着5:42(普通)、終電は23:30発⇒0:12着だった。
 2010年夏現在の宝塚線梅田駅の時刻表をみてみると、梅田発宝塚行の電車は初電5:00(普通)〜終電23:48(急行)というダイヤになっている。また、宝塚発梅田行は初電5:04(普通)〜終電23:46(普通)というダイヤに。

 表題にある梅田〜池田〜宝塚系統は現在の終電よりも遅い時間に運行されてた。当時の阪急線のダイヤからみても「終電後の深夜バス」、現在の「深夜急行バス スターライナー」のような存在だったと考えてもいいだろう。

 梅田〜宝塚間は電車が24.8kmなのにたいしてバスは25.4km。運賃は電車が70円、バスが80円だった。
 参考までに現在の電車運賃は270円。阪急線内で運賃が80円区だった梅田〜六甲間は現在で310円。バス運賃では、当時75円・85円だった池田〜牧・妙見山上間の現在の運賃は630・700円(対キロ運賃路線)。当時と現在の貨幣価値を比較すると(国立国会図書館:過去の貨幣価値を調べる日銀:今のお金を換算すると?)、昭和39年対平成21年では、企業物価戦前基準指数で約1.86倍、消費者物価指数で約4.27倍である。

 ダイヤを見ると、梅田23:50→豊中0:18→池田0:33→宝塚24:45(宝塚着は所要時間55分から算出)、宝塚1:05→池田1:22→豊中1:33→梅田2:00というものだった。

 簡単にいえば、現在のスターライナーの運行時間帯に昼間便と変わらない運賃率でバスが運行されていた、ということになる。

 その後、この深夜便は、1972(昭和47)年6月1日改正で梅田〜国鉄川西池田系統に短縮され、さらに1976(昭和51)年3月8日はその短縮系統も廃止されてしまう。スターライナーが誕生するのはそれから24年後の1990(平成2)年12月1日である。


※当時この区間にあった停留所(1966年版 京阪神市街地図集:人文社より)
 ☆はルートから少しそれてプロットしていた停留所、
 ()は現在の停留所名(もしくはそれに相当する停留所)ないし場所
>大阪市
  梅田、済生会病院前、中津浜通(中津6)、十三、十三西之町(淀川警察署前)、野中南通(野中南2)、堀上通(野中北1)、新高南通(新高1)、新三国橋
>豊中市
  菰江(日出町2)、菰江中之町阪急バス本社前(日出町)、牛立(庄内東5)、庄内駅前、野田(庄内東1)、稲津、穂積(服部南町)、服部、清風園(豊中四中前)、曽根(城山町)、南桜塚(南桜塚1)、市役所前、☆桜塚、豊中、千里川、蛍が池(蛍池)、空港入口もしくは飛行場入口(蛍池東町)、待兼山(清風荘)
>池田市
  石橋、井口堂、荘園口、尊鉢、池田病院前(光明公園前)、市役所前、池田、西本町
>川西市
  川西病院前(呉服橋西詰)、能勢口(小花1丁目)、日通前(JR川西池田駅東付近)、国鉄川西池田(寺畑1丁目交差点付近)、雲雀ヶ丘(雲雀丘学園下交差点付近)
>宝塚市
  平井(平井6-4先付近)、阪急山本(阪急山本駅南交差点・山本東3丁目)、山本(山本東3丁目交差点付近)、中筋(中筋2丁目交差点東側)、国鉄中山(中筋1-24先付近)、阪急中山(阪急中山駅前交差点付近)、阪急売布(ピピア売布前交差点付近)、清荒神道(清荒神2-3先付近)、宝楽町(R176旧道・宝塚歌劇前交差点北)、歌劇場前、宝塚

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