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2008.10.08 Wed
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2007.09.29 Sat
桂線

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<概要>
1.路線開設から七条系統廃止まで
もともとは京阪バスの路線で、桂山崎線(桂〜大山崎間11.2km)として移譲される。1951年5月8日に許可を得て、6月1日より運行を開始。1953年6月5日に京阪バスと京都市交との協定により七条大宮への延長が実現(1953.8.1より運行開始)、さらに1966年7月19日に樫原〜阪急桂間の路線変更免許取得(25日に実施)、1971年4月23日には阪急桂〜物集女〜川島六ノ坪町2.0kmの免許を取得(26日に開始)などを行いながら、主に阪急東向日〜阪急桂〜七条大宮の区間を運行していた。
その後、1974年9月4日の向日営業所管内路線再編によって、他社線と競合し運行回数が少なく、かつ旅客の利用が少ない路線の整理、つまり京都市バスとの競合路線である阪急桂〜七条大宮間4.9kmの廃止に踏み切る。
2.桂線全廃まで
桂〜七条間が廃止になってから、桂線は阪急桂〜樫原〜物集女〜阪急東向日系統と、阪急桂〜(樫原・物集女・川島六ノ坪町)循環系統の2系統のみの運行となった。しばらくこの路線形態が維持されていたが、2003年3月16日に阪急電鉄京都線に「洛西口駅」が開業。これがきっかけとなり、桂線の大半の停留所が新駅の徒歩圏内になるとして、阪急桂〜物集女及び川島六ノ坪町間の計3.8kmが廃止に踏み切った。これにより阪急東向日〜阪急桂間の[62]系統(旧[2]系統)と、朝夕には阪急桂〜川島六ノ坪町間を循環する[61]系統(旧[1]系統)が廃止、阪急桂〜阪急東向日の路線は消滅する。
※桂線廃止直前・直後の様子
廃止の約2か月前の2003年1月27日に系統番号も変更され、[61][62]系統となったが、たった1ヶ月少しという短命で終わった。この改正では系統番号は変更されたが時刻の変更は無かったため、標柱の時刻表は最後まで[1][2]系統で残っていたものも多かった。
3.現在
桂線廃止以降、出入庫の関係や新たに新設された洛西ニュータウン線の運行開始により阪急東向日〜川島六ノ坪町(現:洛西口駅)間の運行は継続して行われた。2007年9月現在、阪急東向日〜物集女間は平日7、土曜5、日祝4便と桂線が運行されていた頃の平日15便、土日祝12便の半数以下となり、対して物集女〜洛西口駅間は平日合計11便、土日祝合計8便だったのが曜日によっては3倍以上に増便している。また物集女〜阪急桂間についても京都市バスや京阪京都交通が運行しており、こちらについては廃止の影響はまず無さそうである。
0948 阪急桂 0949 川島町 0950 樫原 0951 平田町
0952 史跡公園前 1076 川島六ノ坪町 1215 北ノ口
車両・幕 時刻表(PDF 61.2kb)
| 桂線
| 18:57
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2007.09.27 Thu
西谷バス 広根線

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(1)路線概要
西谷バス(現:阪急田園バス)唯一の廃止路線で、西谷バスの本社車庫があった松葉屋から東部、宝地ヶ鼻、r68(川西三田線)、川床口、r12(川西篠山線)を経由して猪名川町広根へと向かっていた。1965年(昭和40年)1月5日に運行開始、1972(昭和47)年11月1日に路線廃止。
(2)路線現状
当時の西谷バスの標柱は据置式であり、標柱設置痕跡を探すことは不可能である。また通過経路であるr68自体も廃止後に道路改修工事が行われており、廃止当時の停留所位置を正確そのままに探すことは出来ず、さらに道路自体も廃道化してしまっていることから当時の経路をそのまま辿ることも不可能である。
(3)廃止停留所 川床口〜広根間は省略(阪急バスの停留所を共同利用)
・長谷
・芝辻口
・三蔵山 ※住宅地図では「三倉山口」と誤植
・白坂口
・広根 ※広根交差点三叉路から現在の猪名川PTへと向かう途中に折返場があったらしい。厳密にどこにあったかは不明。
(4)時刻表 1965(昭和40)年当時 (同年冬に積雪による運休があり、その運休の報告書に記載されていたもの)
松葉屋発:650 930 1440 1700 広根発:740 1040 1530 1810
(5)運行距離・所要時間
片道40分 11.2km
(6)補足事項
1.阪急バス50年史にある年表には「川床線」と書かれているが、「広根線」が正しい
2.『猪名川町史3 近現代』(H2,猪名川町)P528には、「町内の笹尾と川床口から、それぞれ宝塚市の上佐曽利と大原野に至る西谷バスの路線があった」と書かれているが、猪名川町に事実を確かめたところ、川床口〜大原野系統は広根〜大原野(=松葉屋)系統の間違いであることが判明している。
また、笹尾〜上佐曽利系統については・・・後述する。
(7)きっかけは・・・広根線。 〜西谷バスの子会社化の背景〜
この広根線の原型は戦前・中頃から存在していた。大正10年に創立された「北摂乗合自動車」(前「北摂自動車」、昭和9年11月に社名変更)の「波豆線」がそれである。
同社は現在の川辺郡および豊能郡に営業エリアを持ち、「波豆線」は昭和8年1月30日に川床口〜大原野間を、9月30日に大原野〜波豆間の免許を取得していた。第二次世界大戦の激化のため、昭和13年6月3日に一時休止したまま、同社は昭和22年1月に阪急バスに吸収合併される。「波豆線」自体は昭和25年2月10日に廃止となった。なお、この波豆線の運行系統は、『阪急バス50年史』には「川床口〜波豆」、「紫合〜波豆」の二種類の記述有りがある。
一方の西谷バスは大正13年8月8日に武田尾線の運行を開始。もともと西谷村(当時)の村営バス的性格を持っていた西谷バスは第二次大戦激化により運営困難な状況に陥り、昭和19年に已む無く「大阪公益社」に譲渡される。しかし地元の手で運行すべきだという声も多く昭和21年8月に新生西谷バスをスタートしたが、バス事業の発展による法整備や安全確保などの社会的要請は弱小企業である西谷バスには大きな負担となり、また人件費の増大も重なって、大手バス会社への事業譲渡が望まれていた。そこで、宝塚市に営業エリアをもっていた阪急バスに事業譲渡を打診。阪急バスにとっては、旧「北摂乗合自動車」から川辺郡〜西谷地区に事業区域を持っていた(=波豆線)、輸送体型上密接な関係にある地域だったため、これを受け入れ昭和35年11月29日に阪急バスの子会社化された。
つまり、阪急バス子会社化の理由の一つが先に挙げた「波豆線」、後の西谷バス「広根線」なのである。
(8)笹尾〜上佐曽利系統の解明
先に紹介していた通り、猪名川町史に一文書かれていたこの路線についてじっくり研究してみよう。
この町史を執筆された方や猪名川町によれば、昭和28年の大水害により一部道路が封鎖されたことから臨時処置として迂回運行していたらしい。「らしい」というのは、根拠自体は地元の聞き取りによるものであるが、聞き取り内容自体が資料として残っていないことから、他にこれといった詳細は分からないのだという。広根線の迂回運行のものではないか、という話だが、阪急バス線が廃止になったのが昭和25年、西谷バス線の開始が昭和40年であるから、時系列として大きくズレが出ている。
一方、お隣の宝塚市の市史を見てみると、六瀬支所前〜上佐曽利系統という形で運行していたらしく運行開始が昭和26年、廃止が28年、とかなり古い。どうやらこれが同系統の真相のようだ。この運行自体も50年以上前のことで当然ながら途中にどういった停留所があったのか等、詳しいことは分からないが、とりあえずバスが走っていたということだけは書き記すことにする。
さて、この系統が通っていた道路であるr319下佐曽利笹尾線にはもうバスは走らない・・・というのは大きな間違い。それについてはこちらで言及したので参考に。
謝辞:阪急田園バス本社営業所様、猪名川町生涯教育課菅澤様
| 他社線(西谷、芦有)
| 20:42
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2007.09.24 Mon
籠坊温泉(かごのぼう おんせん)

篠山市後川籠坊にあった停留所。阪急バスの兵庫県域路線の中でも最も北に位置している。
左側のベンチのある辺りが停留所があった場所。右にある建物は地元の民宿で、神姫バスが最近まで写真右の回転場を利用していたそう。
後川方面に向かって撮影。

左部分を撮影したもの。ここが阪急バス「籠坊温泉」停留所である。
廃止からかれこれ30〜40年経っているため標柱の痕跡は無いが、ベンチや電話BOX
(昭和50〜60年代頃まで、バス停と電話BOXがセットになっていたことが多い)が残っている。
奥の建物が元公民館。

上の待避所を天王向きに撮影。左が神姫バスの折返所、右が阪急バスの折返所となる。
ちなみに付近には阪急バスが持っていた民家があり、運転士たちはその2階で寝泊りしていたという。今は改築され別の持ち主のものとなっている。

折り返し場にある看板。
神姫バス 籠の坊
神姫バスの「籠の坊」停留所。停留所前にある車庫は昔からあるものだが、建物自体は最近建て替えられたようだ。

神姫バスの標柱(左は篠山市コミュニティバス。篭坊を走る神姫バスは特別な日に限ってコミュニティバスとして運行している)
<現在のアクセス方法>
・三田駅からの神姫バス小柿行で、終点の小柿で籠の坊行に乗り換え(3~5往復/日と本数が少ないので注意。ただし日曜運休。)
・日生中央から[41]杉生新田・後川行(5〜6往復/日)で終点の後川停留所から徒歩40分(徒歩3km、勾配ゆるやか)または杉生新田停留所から(泉郷峠経由で)徒歩70分(約3km、勾配きつい)。バスは杉生まで16〜19往復ほどあるが、杉生〜杉生新田間だけでも徒歩2時間程度かかってしまう。
・ということで、個人的には車での訪問を推奨。
2006.7.23
| 杉生線
| 02:45
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2007.09.24 Mon
籠坊温泉〜杉生新田間風景
籠坊から杉生新田までの沿線風景、r601の『険』道っぷりを紹介する。
※以下、所要時間は車での走行時間、撮影方向は特に断りが無い限り杉生新田方向に撮影したもの。

0:01 田園地帯をバスは走っていた

0:05 50年史に掲載されていた籠坊系統の写真はここで撮られたものか。

上の橋を逆向きに撮影したもの

橋のあたりには古ぼけたこんな看板が

0:05 坂下橋

0:07 「歓迎 籠坊温泉」の寂れた看板。r601の名物にもなっている。なお、この看板の東側に天王方面との分岐点があるのだが、そこが「
天王口」停留所であった。
0:07 天王口停留所
0:10 鬱蒼とした道が続く。これから泉郷峠を越えていくことに。

0:13 猪名川町に入ると路面状態が悪化、急なヘアピンが連続する。道路幅も一車線程度しかなく、大型車で走るのには大分技術が要される。

0:15 ようやく杉生新田集落域に到着。籠坊へと続く道は、左の道である。籠坊向きに撮影。

分岐点から籠坊方面に撮影したもの 一見、素人にはこれが県道だとは思いがたい。

r12との分岐よりr601の入り口を撮影。川西方面から入ってきたとしても、この先険しい道が続くのは大いに予想できる(籠坊向きに撮影)

後川方面から撮影。画像右には古ぼけた案内標識が。

杉生新田方面から撮影。画像右へと続くのが今下ってきたr601。
なお実走してみると、2.5kmの距離を15分(=時速10km)で走っていた。撮影時間なども考えればもう少し所要時間は短いものだっただろう。ちなみに阪急バスの時刻設定では登り12分、下り10分。かなり慎重な走行をしていたものだと思われる。
06.7.23
| 杉生線
| 02:43
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2007.09.24 Mon
栢原(かいばら)
亀岡市東別院町栢原 上日影にあった停留所。停留所の横には、商店やポストがあるので、ある程度場所は特定しやすい。 車作方面に向かって撮影。

標柱は南掛方面1本だけだった様子。
04.12.23
| 忍頂寺・車作線
| 02:42
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2007.09.24 Mon
関西カントリー(かんさいかんとりー)
<路線紹介>
東能勢線池田〜関西カントリー系統が97.12.22に廃止、それに伴って牧〜関西カントリー間3.3kmも廃止となった。亀岡市内に乗り入れたのはこの路線と車作線南掛系統だけであった。廃止直前には平日・休日とも池田から5往復運行されていた。
牧〜関西カントリー間3.3kmは京都交通余野線(関西カントリーは経由せず)が走っており、その間に停留所が2つあるが、阪急バスは牧〜関西カントリー間は無停車であ った。なお、京都交通の路線は2005年に余野〜神地を廃止、越境路線ではなくなっている。
<関西カントリー>
亀岡市東別院のゴルフ場、関西カントリー敷地内にあった停留所。廃止後は、同ゴルフ場に運行されている送迎バスが代替を担っている。(JR亀岡、茨木から運行)


停留所のあった場所は送迎バスの待機場として使われている。大型バスでは若干窮屈そうに思われる。

待機場を逆から撮影。バスの右側に標柱跡があった。

待機場横にあった標柱跡。苔に侵食され非常に分かりつらい。

関西カントリーゴルフクラブの玄関。
06.8.6
| 東能勢線
| 02:40
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2007.09.24 Mon
上杉下所(うえすぎしもんじょ)
| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 02:39
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2007.09.24 Mon
京阪門真市駅(けいはんかどましえき)

京阪電鉄門真市駅北側にあった停留所。吹田方面のりばは門真市駅北西側にあったらしい。南に向かって撮影。

上とは逆、吹田方向に向かって撮影。近くにはバス停があったことを示す看板が。


看板の拡大。ちゃんと「阪急バス」の文字が残っている。

道路地図ではここが吹田方面のりばになっていた。奥が京阪門真市駅。

吹田方面と中央環状を挟んで向かい側にある京阪バスのりば。こちらは現存。
07.3.23
| 吹田八尾線
| 02:38
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2007.09.24 Mon
越水町(こしみずちょう)
| 西宮市内線
| 02:34
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2007.09.23 Sun
神山口(こやまぐち)
能勢町神山にあった停留所。稲地に向かって撮影。

写真右下に標柱痕があった。

標柱痕。
2006.7.15
| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 12:36
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2007.09.23 Sun
九ヶ折(つづがおれ)
京都r46(茨木亀岡線)、亀岡市東別院町栢原九折にあった停留所。高槻市二料、田能、向日市方面へと走る京都r733(柚原向日線)との交点から少し南に行ったところに位置していたようである。亀岡市街に向かって撮影。
茨木向きに撮影。右側の民家の軒先の待避所付近にバス停があったらしいが、標柱設置痕などの停留所があったことを示すものは何も無かった。
九ヶ折停留所のあたりは東別院町集落の南端にあって、この先府道46号は砕石場を通るため、車作集落のあたりまで民家が全く見れなくなる。
2004.12.23
<補足>「九ヶ折」の読み方について
阪急バスの停留所では「九ヶ折(つづがおれ)」と読むが、一体の地名(小字)は「九折(つづらおり)」と書く・読むのが正しい。 阪急バスがここを走る前に走っていた京阪バスや丹波交通(現在の京阪京都交通)の免許申請等の資料には「九折」と書かれていたことから、免許申請時に何らかの理由で阪急バスが地名を間違えて停名にしてしまったものだと思われる。もっとも今となってはその理由も定かでは無いわけで...。
※2008.7.24 22:40訂正 情報を頂いたM.K様有難うございました。(7/22 16:43 受信)
| 忍頂寺・車作線
| 12:35
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2007.09.23 Sun
九鬼谷(くぎたに)

茨木市清阪にあった停留所。粉塵がすさまじく、訪問にはマスクが必要になる。南掛方面に向かって撮影。
なお、安威川の茨木市北部地域一帯を「九鬼谷」というらしく、おそらくこの停留所名もそこから取られたものであろう。なお周辺地帯の地名は「清阪」。
2004.12.23
| 忍頂寺・車作線
| 12:34
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2007.09.23 Sun
新聞記事

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| 京都線
| 12:33
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2007.09.23 Sun
松下厨房器前(まつしたちゅうぼうきまえ)

松下電器産業工場の西側にあった停留所。
八尾方面のりばには、停留所があった箇所にだけガードレールが切れており、これがバス停があったことを示す証拠になった。吹田方面に向かって撮影。

八尾方面に向かって撮影。

吹田方面のりばにはベンチだけが取り残されていた。ただ実際の位置は(住宅地図によれば)写真の位置より若干南にあったらしい。

ベンチでいくら待てども、バスは一生来ない。
2007.3.23
| 吹田八尾線
| 12:33
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2007.09.23 Sun
美濃谷(みのたに)・長谷美濃谷(ながたにみのたに)
| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 12:32
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2007.09.23 Sun
御幣島二丁目(みてじまにちょうめ)
御幣島二丁目交差点付近にあった停留所。

千船橋方面のりばがあった地点。標柱は市バスと並んでいた。

加島方面の標柱はちょうどこのあたりにあった。市バスの停留所はこれより数m北側に移転している。

千船橋方面のりば近くにあるJR御幣島駅入口。
2007.5.3
| 千舟線
| 12:31
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2007.09.23 Sun
御幣島五丁目(みてじまごちょうめ)
みてじま筋上、御幣島6丁目交差点の北側にあった停留所。標柱は阪急と市バスが隣り合った状態で設置していたようであるが、現在ではどちらも撤去されている。
なお、市バスの「御幣島5丁目」停自体は同交差点西側に現存している。

千船橋に向かって撮影。

加島方面のりばはこのあたりにあったらしい。

千船橋方面のりば。
07.5.3
| 千舟線
| 12:30
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2007.09.23 Sun
御幣島第二住宅前(みてじまだいにじゅうたくまえ)
名の通り「市営御幣島住宅」前にあった停留所。阪急バスの廃止後、市バスは停名を「御幣島住宅前」に改称している。

千船橋方面のりば。

加島方面のりば。
07.5.3
| 千舟線
| 12:29
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2007.09.23 Sun
御幣島公園前(みてじまこうえんまえ)
「御幣島公園」の東側にあった停留所。

加島方面の標柱は市バスと同位置にあった。

千船橋方面の標柱があった場所には地図看板が立っているだけで、標柱の痕跡は一切無かった。ちなみに市バスの乗場はここから10mほど北側にある。
07.5.3
| 千舟線
| 12:29
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2007.09.23 Sun
中人(なかんど)
国道173号旧道、能勢町山辺 奥山、自然の森ファミリーオートキャンプ場への分岐付近にあった停留所。
左の道が開拓村(後述)・キャンプ場へ、右の道が旧道本線(天王方面)。
現在のアプローチ方法だが、新道から中堂橋への道もある(らしい)が、やはり旧道をそのまま通る方が確実だ。 バスを乗り継いでくるのであれば砂原橋から2.8km徒歩でしか方法はない。

左下の白いコンクリートで四角くなっているのが標柱痕跡と思わしき箇所。あたりを探し回ったが、痕跡らしきものはこれしかなかった。
標柱の痕跡だと思われる箇所。かなり最近になって痕を消したように見えるが・・・。
2006.7.15
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| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 12:28
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2007.09.23 Sun
中の町(なかのまち)
| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 12:28
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2007.09.23 Sun
南宮町
<調整中>

| 芦屋市内
| 12:26
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2007.09.23 Sun
庭窪郵便局前(にわくぼゆうびんきょくまえ)
庭窪郵便局前交差点付近にあった停留所。当の「守口庭窪郵便局」は06年9月25日をもって大日駅前にある「イオン大日」内に移設・廃止となった。

門真方面のりば。吹田方向に向かって撮影。バス停があったと分かるようなものは一切無し。

門真方面に向かって撮影。

吹田方面のりば。吹田方面に向かって撮影。こちらも痕跡は一切無し。

| 吹田八尾線
| 12:25
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2007.09.23 Sun
落合橋(おちあいばし)
大阪・兵庫r106、兵庫県川西市・大阪府能勢町の府県境付近にあった停留所。 奥にある橋が「落合橋」で、「落合」自体は川西市黒川の字、知名キャンプ場付近一帯を指している。 写真左へ行くとr604を通って野間、妙見山方面へと抜けられる。山下方面に向かって撮影。
写真左下にあるのが標柱痕跡。山下方面にだけ標柱が設置されており、両方向兼用していたようだ。

標柱痕と思わしき箇所。
2006.3.12
| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 12:24
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2007.09.23 Sun
彩都出張所
| 彩都線
| 12:22
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2007.09.23 Sun
塩谷口(しおたにぐち)
能勢町下田尻地区の南端、稲荷神社の筋との交点付近にあった停留所。下田尻方面に向かって撮影。
なおこの周辺の地名は「下ノ町」であり、周辺には「塩谷」なる地名は存在していない様子。

下田尻方面の標柱痕跡。よく目を凝らさないと、本当に標柱痕跡かどうかは分からない。

下田尻方面の標柱痕跡。よく目を凝らさないと、本当に標柱痕跡かどうかは分からない。
2006.3.12
| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 12:20
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2007.09.23 Sun
下最寄(したもより)
| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 12:18
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2007.09.23 Sun
住友砕石前(すみともさいせきまえ)

文字通り、住友砕石前にあったバス停。「住友砕石」は現在「安威川砕石」と名前を変えている。南掛に向かって撮影。
04.12.23
| 忍頂寺・車作線
| 12:15
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2007.09.23 Sun
天神橋(てんじんばし)

栢原にある天満宮へと繋がる天神橋付近の南側にあった停留所。 撮影当時時点には、付近の道路・歩道は再舗装されており、停留所痕跡は消失している様子だった。 南掛に向かって撮影。

停留所由来の「天神橋」。意外とそっけない。

天 神 橋
04.12.23
| 忍頂寺・車作線
| 12:13
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2007.09.23 Sun
鳥飼大橋北詰(とりかいおおはしきたづめ)

渋滞名所「鳥飼大橋」北詰にあった停留所。この鳥飼大橋が吹田八尾線開設のきっかけだった。
写真は吹田方面に向かって撮影したもの。吹田方面のりばには上屋が設置されている。

近鉄バスの標柱と、吹田八尾線の標柱痕(左側)。 ちなみにここを通る近鉄バスも06年11月1日をもって廃止となった。


門真方面行きのりばは堰堤側にあった。橋を渡ると守口市。

06.10.24 07.3.23
| 吹田八尾線
| 12:12
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2007.09.23 Sun
峠(とうげ)

府境にある停留所。周りは画像のように禿山が広がる。バス停はカーブの途中にある。 車作に向かって撮影

この京都府境付近にバス停があった。南掛に向かって撮影。
なお、周辺の地名は「東別院町栢原南保(なんぼ)」。
04.12.23
| 忍頂寺・車作線
| 12:10
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2007.09.23 Sun
歌島橋(うたじまばし)

JR御幣島駅・大阪市バス歌島橋BT前にあった停留所。写真は千船橋方面のりば跡。

加島方面のりば跡。

同のりばを加島方面に向かって撮影した。停留所があった辺りは完全に駐輪場と化してしまってる。 写真奥にあるのはJR御幣島駅と歌島橋バスターミナル。

市バスの歌島橋BT
07.5.3
| 千舟線
| 12:09
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2007.09.23 Sun
郵便局前(ゆうびんきょくまえ)
川西見野郵便局前にあった停留所。97.10.10の西能勢線路線再編の際に廃止された。後に01.3.1の川西病院・大和団地線の開設によりこの停留所から南へ数mのところに「東谷行政センター前」停留所を新設した。
なお「郵便局前」停には西能勢線、多田GH・川西病院線ともに停車していたが、「東谷行政センター前」停には西能勢線は停車しない。
停留所があった位置は駐輪場になったため、写真のとおりバスは通れないようになった。東谷行政センター停は奥の池田銀行の前にある。

2006.3.12
| 西能勢・デマンド・能勢町内
| 12