阪急バス75年(特に最近15年)の間に廃止された路線・停留所を紹介。

貸切(乗合行為許可)路線
北千里〜間谷入口住宅:ダイヤ運行(当初はノンストップ、その後に今宮に停車、末期には小野原も停車駅に追加)
住宅内(ルートデマンド):一→二→三→・・・・→八→一 三・四・七は降車専用
1.間谷ミディバスの概要
(1)運行開始までの流れ
ミディバスとは中型バスによるデマンドバスのこと。 運行地域は箕面市間谷に開発された完成なベッドタウン「間谷住宅」。阪急バスの親会社である阪急電鉄土地経営部の開発地で、縦1.5km×横0.5km余りの大きさで、全体がかなりの勾配になっている。昭和52年の完成時には722戸、人口約3000人となり、バス路線は阪急北千里駅と間谷住宅入口までは5.4km、団地内は1.3kmの勾配地にあり、都心までこのバスと電車で1時間足らずで行くことが出来るが、逆にバスが無ければ非常に不便な土地であった。
この間谷住宅周辺にはそのほかにも住宅開発が盛んであって、近くには規模2500戸の住宅公団粟生団地も開発中であった。これらが完成すると4000〜5000戸のベッドタウンになるが、これら各住宅地に別々の輸送を行うと非常に効率が悪く、とても頻度の高い輸送は出来ないが、幹線輸送だけにおいては徒歩限界を超えた住宅地、学校、病院などが数箇所あって、それらは間谷住宅同様に小型バス程度の車両でしか運行できない道路事情にあった。
こうした新興住宅地の輸送は赤字必須であり、赤字になる路線を運行することはいくら公共交通とはいえ企業性に反する問題だった。最近はディベロッパーにある程度の期間の損失補償を負担させているが、無限の赤字保証というのは論外だった。
そこで幹線輸送は大型バスで、住宅内へは小型か中型バスでゾーン輸送すればどうかと開発業者に提案し、同時にせまい住宅内道路(メイン道路でも幅6〜8mで、歩道も無い)を勘案し、静かな住宅環境を守るためには必要なときのみ乗り入れる呼び出しバスシステムの提案も行った。いかに小型・中型バスといえども必要ないときに常時運行するのは住宅に交通三悪(騒音、排気、事故)を撒き散らすことになる。
このような輸送であれば、ある一定期間(入居完了もしくは5年間)の損失補償で阪急バスも採算ベースに乗ることが分かった。
阪急バスは運行について以下のようなことを打診。
・北千里駅〜住宅入口はダイヤ運行
・住宅地域内へはバスが必要なときだけディマンドする(ラッシュ時間は住宅内もダイヤ運行)
・バス車両は中型とし、冷暖房装置を付けて、低床にし、自家用車に近い乗り心地にする。
また開発業者に対しては次のような提案を行うなどして、両者の協議が成立。
・ディマンドに必要な機器の負担
・住宅入口にバスの折り返し場所を提供
・バス車両購入の負担
・住宅完成までの運行損失金の補償
これで両者は妥協に至ったが、運行開始当時は幹線道路建設中であったので、北千里駅〜間谷住宅入口間をノンストップ運行とした。そして要請があるときのみ住宅地内へ乗り入れるようにした。 このシステムはオランダのエンメン市のバキシーシステムにヒントを見出し、またシステム機器については能勢デマンドバスの経験に基づいて改良していった。
(2)団地補償制度「阪急バス方式」
この頃、阪急バスエリアには昭和40年代から急激に住宅開発が盛んになり、その開発計画に基づくバス運行の収支は10年間のトータルで50億の赤字との試算が出た。先述の通り、バスは公共交通とは言っても企業であり、しかも著しく変化する社会情勢で、もはや経営の体力は無くなっていた。ディベロッパーの経済活動は自由だが、それによってデメリットを受けるものには補償すべきであるという姿勢を示していた。
のちの昭和46年、大阪陸上交通審議会の答申において、交通に関する団地補償がうたわれ、翌47年には運輸政策審議会の答申にも、疲弊しているバス事業の救済的な内容が打ち出された。
阪急バスはそれらに先立って、団地補償制度(俗にいう「阪急バス方式」)を、最初は昭和42年に、そして45年から本格的に作り上げていった。
この間谷団地輸送も、ちょうどその制度の延長上にあり、補償に関しての契約を調印し、ミディバスの実現となった。
##以下、執筆中。