阪急バス75年(特に最近15年)の間に廃止された路線・停留所を紹介。

高槻市南芥川町、国道171号柳原交差点〜南芥川町交差点間にあった停留所。 京都方面に向かって撮影。(2008.5.4撮影)
JR茨木方面 
2002年8月に訪問した際には既に標柱は撤去されてしまっていたJR茨木方面の標柱。
写真の真ん中やや右に、真新しいアスファルト舗装の部分や歩道柵が新しくなっている部分があるが、そこに標柱があった。奥には阪急水無瀬方面の標柱が見える。(2008.5.4撮影)
阪急水無瀬方面 
休止中の頃の標柱。(2002.8.12撮影)
現在の標柱。2002年12月の深夜急行バス茨木・高槻線運行開始により降車専用停留所として復活した。(2008.5.4撮影)
停名表示面はこんな感じ。(2008.5.4撮影)
2002.8.12 2008.5.4
(路線物語にも同様の記事を掲載→■) 
高槻市今城町・朝日町・国道171号群家交差点、明治製菓前にあった停留所。停留所名は阪急バスは「明治製菓前」なのに対して、高槻市バスでは『明治製菓』と北側にあった『電電公社(現在のNTT)社宅』の2つを組み合わせた「明治電々前」という停名になっている。ちなみに後者のNTTの社宅は2007年頃に完全撤去、新たにマンション群が建てられている。
道路地図でも多くのものがこの停留所を「明治電々前」として明記してあったこともあってか、2002年12月の深夜急行バス運行開始の際には高槻市バスと同じ「明治電々前」に名称変更している。
高槻方面に向かって撮影。(撮影日:2008.5.4)
茨木方面に向かって撮影。(撮影日:2008.5.4)
JR茨木方面
次の国道富田まで0.7km 
撤去前のJR茨木方面の標柱。(2002.8.12撮影)
現在ではこのように標柱痕が分からないように撤去・再舗装しなおされている。ちょうど高槻市バス標柱の右下に、かすかにアスファルトの色が違う部分があるが、そこに標柱が設置されていた。(2008.5.4撮影)
阪急水無瀬方面
復活前の高槻・水無瀬方面標柱。(2002.8.12撮影)
現在の高槻方面の標柱。(2008.5.4撮影)
ちょうど「明治製菓前」と書かれていた部分が「明治電々前」と貼り直されている。(2008.5.4撮影)
上部円板についても、このように直されている。(2008.5.4撮影)
2002.8.12 2008.5.4


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停留所の位置・概要 場所
猪名川町の火葬場「猪名川霊照苑」付近にあったとされる停留所。ただし火葬場が出来たのは昭和54年4月と廃止から6年以上経っているのと、県道68号線自体も後に道路改修工事が行われていることから、現在廃道となった場所に存在していたようである。
阪急田園バスには「三蔵山から1.3km、川床口から1.9kmの位置にあった」という記録は残っているそうだが、それ以外の詳しい情報は分からないという。ただし、古い地形図をもって距離を測ってみると、おおよそ猪名川町の火葬場付近に停留所があったらしい。
また、当時広根線に乗務していた車掌の話によれば、「白坂口というバス停は記憶に無い」のだそうで、乗降客はほとんど皆無だったであろう、とのこと。
停留所名の由来
一般に停留所名は周辺の小字から取られることが多いのだが、この停留所名の「白坂」は、宝塚市側はともかく、猪名川町側でもこの地名は存在していない。先の火葬場周辺の地名は「木津 字 奥山」であり、また火葬場から北(木津字西島方面)に延びている町道(林道?)沿道にも白坂なる地名もしく白坂に類するような地名は存在していない。地元の猪名川町に問い合わせてみても、「白坂なる地名は聞いたことが無い」とのことで、謎は深まる一方である。
現地の様子
火葬場周辺で兵庫県道r68の旧道を確認出来たのは、火葬場西側のこのあたりしか無かった。バス停があったような形跡は勿論無い。左側に見えるガードレールが現道。西谷に向かって撮影。(クリックすると拡大します)
火葬場から猪名川方面に向かって現道を撮影したもの。火葬場以東については旧道の確認が困難だった。
火葬場から西谷方面に向かって現道を撮影したもの。一番上の写真にある旧道は、右折したところにある。
2007.9.27公開 2008.3.15現地撮影
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